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ナミヤ雑貨店の奇蹟【映画】の時系列は?時間軸や物語をわかりやすく紹介!

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映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」は、第7回中央公論文芸賞を受賞した東野圭吾の同名小説を原作とした映画で、2017年に公開されました。

舞台となる1980年と2012年の場面転換が多いため、時系列がわかりにくいという声が多く聞こえます。

そこで、今回は、映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の物語を出来るだけ時系列がわかるように書いていきます^^

時を超えた手紙のやり取りという性質上、時系列ごとに分けるとわかりにくくなるため、ストーリーに沿って時間軸を記しました。

順番に読むと物語と時間軸がわかるようになっています

※ネタバレが含まれるため注意してください。

コンテンツ

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ナミヤ雑貨店の奇蹟【映画】時系列に沿ったあらすじ:起

起:3人の窃盗団と魚屋ミュージシャン(松岡克郎

1969年:ナミヤ雑貨店

商店街にある「ナミヤ雑貨店」には、子ども達が「こうしたい、こうなりたい」という夢が張りだされていて、65歳の店主・浪矢雄治が個別の悩み相談を受けていました。

夜、シャッターの郵便受けに相談したいことを書いた手紙を投函すると、翌日には店の脇にある牛乳箱に回答が入っているという仕組みです。

アドバイスや応援だけでなく、例えば、松岡克郎(後の魚屋ミュージシャン)の友人・池田が「テストで100点取りたい」という悩みには「自分自身に関するテストならば、全問正解できる」という回答が返ってきたりと、トンチの効いた解答もありました。

2012年12月20日:3人の窃盗団と手紙

児童養護施設「丸光園」出身の矢口敦也小林翔太麻生幸平の3人は、「丸光園」をつぶしてファッションホテルにしようと考えていた女性の住む屋敷に忍び込み、お金を盗んで逃亡していました。

逃亡用に使う予定だった車に乗りますが、バッテリーが上がっていて動かなくなってしまいます。

そこで3人は、夜明けとともに通勤客にまぎれて逃げるために、小林翔太が目星をつけていた潜伏先の廃屋「ナミヤ雑貨店」で、一夜を明かすことにしました。

廃屋の「ナミヤ雑貨店」を物色する3人。

押し入れから見つけた古い雑誌には、モノクロの美人女性の写真が挟まっていて、裏面には「昭和2年3月 暁子」と名前が記されていました。

3人が写真を見て話していると、シャッターの郵便受けから光が差し込み、手紙が入ってきました。

3人に緊張感が走り、矢口敦也が警戒して外を見に行きますが、誰もいません。

再び古い雑誌に目をやると、廃屋の「ナミヤ雑貨店」についての記事が載っていました。

夜、相談したい事を書いた手紙をシャッターの郵便受けに投函すると、翌日には店の脇の牛乳箱に回答が入っているという仕組みを知った3人は、入ってきた手紙をチェックしてみることにしました。

その手紙は「魚屋ミュージシャンより。前略、昨日ジョン・レノンが死にました。」という書き出しで始まっていました。

スマートフォンで調べると、ジョン・レノンが死んだのは1980年12月8日ということがわかり、32年前から届いた手紙なのかと驚きます。

奇妙な現象を目の当たりにした3人は、廃屋を逃げ出そうとしますが、外の商店街には灯りがともっていて、いくら走っても「ナミヤ雑貨店」のある同じ道に戻ってしまいます。

幻の路面電車が自分たちをすり抜けるのを体感した3人は、廃屋に戻ることにしました。

そして、麻生幸平は暇潰しに、手紙に返事を書いてみることに…。

1980年9月〜12月の間:魚屋ミュージシャン(松岡克郎)

22歳になった松岡克郎は、ミュージシャンになりたいという夢を捨てきれず、大学を中退し、音楽活動に専念して3年が経過していましたが、一向に芽が出る気配はありませんでした。

そんな松岡克郎は、祖母の葬儀のため、実家の魚屋がある東京に帰省します。

久しぶりに帰省した松岡克郎は、父親の松岡健夫が心臓の病で先日倒れたことを、妹の松岡栄美子から聞かされます。

葬儀の中、自分の将来のことで叔父と父親が口論するのを見た松岡克郎は、いたたまれなくなって外に出ることに。

商店街にある「ナミヤ雑貨店」を見た松岡克郎は、その夜、妹の松岡栄美子に「ナミヤ雑貨店」の店主・浪矢雄治の消息を尋ねました。

店主・浪矢雄治は少し前に息子夫婦のところへ身を寄せたため、「ナミヤ雑貨店」は空き家になっていると聞かされたものの、松岡克郎は、今の悩みを書いて手紙を投函してみることにしました。

音楽の道で生きていこうか悩んでいると書いた松岡克郎は、翌日、牛乳箱に回答の手紙があるのをを見つけ、驚きます。

2012年12月20日:魚屋ミュージシャン(松岡克郎)への返事

麻生幸平が手紙を書くと言ったものの、どう書けばいいのかわからなかったため、小林翔太が代わりに書くことに…。

悩みを受け取ったこと、苦労も無く家業を継げるのに贅沢であり、音楽で食べていけるのは一部だけ、という旨の手紙を書きます。

1980年9月〜12月の間:魚屋ミュージシャン

手紙を受け取った松岡克郎は、怒ってすぐ手紙を書きますが、また、次の日には煽るような返答があり、ついには才能がないと書かれていました。

そして、遊び半分でやっているんじゃない、直接聞いてほしいと書いた松岡克郎は、その夜、「ナミヤ雑貨店」の郵便受けに半分ほど手紙を入れた状態で、ハーモニカを吹き始めました。

2012年12月20日:ハーモニカ「REBORN」

辛辣な手紙を魚屋ミュージシャン(松岡克郎)に書く小林翔太だったが、書いて投函すると、すぐまた返事の手紙が届くことに驚きながらも、何通かやり取りを続けていました。

すると、半分ほど、手紙が投函されたところで、ハーモニカの音が聴こえてきます。

そのハーモニカのメロディを聞いた3人は、その曲が、女性歌手の水原セリが歌う2012年にヒットしている名曲「REBORN」であることに気付き騒然とします。

驚いて外に回りますが、外には誰もいません。

名曲「REBORN」には、作曲した人が水原セリの弟の命を救ったというエピソードがあり、そのことを3人は知っていました。

そこで3人は、あなたの音楽で救われる人がいるから、これからも続けるべき。という内容の返事を書くことに。

1980年9月〜12月の間:魚屋ミュージシャン(松岡克郎)の決意

松岡克郎の父親・松岡健夫が過労で倒れました。

松岡克郎は、音楽をやめて家業を手伝おうとしますが、父親・松岡健夫に、死ぬ気でやってみろと背中を押されます。

「ナミヤ雑貨店」からの返事も後押しし、音楽の道を続ける事を決意しました。

1988年:魚屋ミュージシャン(松岡克郎)と「丸光園」の火事

音楽を続けていた松岡克郎は、メジャーデビューができずにいましたが、小さなイベントをこなしながら、細々と活動を続けていました。

児童養護施設「丸光園」のクリスマスパーティーに呼ばれた松岡克郎は、クリスマスソングと共に自分のオリジナル曲を披露します。

弟と一緒に施設に入所した少女・水原セリは、松岡克郎のオリジナル曲に興味を持ち、すぐ歌えるようになっていました。

電車が事故のため帰れなくなった松岡克郎は、児童養護施設「丸光園」に泊まることに。

その夜、児童養護施設「丸光園」で火事が起きます。

水原セリの弟が逃げ遅れた事を聞いた松岡克郎は、助けるため火の中へ入っていきます。

松岡克郎は、水原セリの弟を脱出させることに成功しますが炎に巻き込まれて亡くなってしまいます。

2012年12月20日:水原セリの歌

水原セリは成長し、コンサートで、私の弟を救ってくれた松岡克郎さんの曲に歌詞をつけたとして曲「REBORN」を歌っていました。

その動画はインターネットにアップロードされて、名曲「REBORN」として日本中で有名になっていました。

矢口敦也小林翔太麻生幸平の3人は、自分たちが児童養護施設「丸光園」出身であることが、この一連の出来事と何か関係があるのかと考えていました。

寒くなったため、矢口敦也がストーブをつけました。

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ナミヤ雑貨店の奇蹟【映画】時系列に沿ったあらすじ:承

承:浪矢雄治とグリーンリバー(川辺みどり)

1980年1月:グリーン・リバー(川辺みどり)の手紙

ストーブをつけた浪矢雄治は、息子の浪矢貴之に同居の話を持ちかけられていました。

「ナミヤ雑貨店」を閉めて、自分の家で一緒に住もうという浪矢貴之に対し、浪矢雄治は悩み相談があるからと断ります。

その日、浪矢雄治が受けた相談は、25歳の女性・グリーンリバーさんからのものでした。

内容は、不倫相手の子供を妊娠したという内容でした。

1980年9月〜12月20日:三十三回忌と未来からの手紙

浪矢雄治が、9月に腹痛を訴えて病院に担ぎ込まれました。

本人には告げられてないものの、余命3ヶ月のすい臓がんでした。

ある時、浪矢雄治は、ある新聞記事を見つけます。

それは、女性が乳児と共に海に落ち、無理心中を図ったというもの。

その女性の名前は、川辺みどりと書かれていて、相談してきたグリーンリバーさんだと判明し、動揺します。

相談者が自分の言う通りにして大変なことになっていると考えた浪矢雄治は、自身の余命にも気付き、「ナミヤ雑貨店」に連れて行ってくれるように頼みます。

「ナミヤ雑貨店」まで送ってもらった浪矢雄治は、息子の浪矢貴之に車中で遺言状を渡しました。

車で待つ浪矢貴之は、遺言状を開封します。

三十三回忌の命日の午前0時から夜明けまでの間、「ナミヤ雑貨店」を開けて、悩み相談をしてくれた相手に対して、意見を求めるという内容でした。

ここで、2012年の矢口敦也小林翔太麻生幸平の3人が「ナミヤ雑貨店」で過ごしている日は、浪矢雄治の三十三回忌であることが判明します。

そんな中、「ナミヤ雑貨店」に入った浪矢雄治の前で奇蹟が起き、2012年からの手紙が次々に届きます。

そんな浪矢雄治のそばに、浪矢雄治の元恋人である1927年の姿の皆月暁子が現れました。(皆月暁子は1969年に亡くなっています。)

回収した手紙を皆月暁子と共に読んだ浪矢雄治は、将来のことをひと足先に知ることに。

手紙には、かつて百点を取りたいと相談をしていた松岡克郎(魚屋ミュージシャン)の友人・池田が、中学の教師となり、2012年には校長になったことなどが書かれていました。

そんな中、浪矢雄治の目をひく手紙が…。

それは、川辺みどりとの無理心中で生き残った子供・川辺映子からの手紙でした。

1988年:川辺映子の手紙の内容

川辺映子は、その後、児童養護施設「丸光園」で育ちましたが、高校1年生の時に新聞記事で母親の川辺みどりの真相を知ったことで、身投げをしようとします。

失敗して病院で手当てを受ける川辺映子の元に、水原セリがやってきます。

川辺映子は母に無理心中されたことを嘆きますが、水原セリが「丸光園」から預かってきた「ナミヤ雑貨店」の回答の手紙を渡します。

そこには、浪矢雄治がグリーンリバー(川辺みどり)に向けて書いた回答「子どもを幸せにする覚悟があるならば、生みなさい」と書かれていました。

水原セリは、当時の新聞記事が誤りであったことを川辺映子に教えます。

川辺映子の母・川辺みどりが運転していた軽自動車は、同じスーパーで働く知人の女性のものでした。

川辺みどりは、ある夜、乳児の川辺映子が熱を出したため、知人女性から軽自動車を借りて病院へ行く途中、昼夜働いていたことによる疲労から居眠り運転をしてしまい、海に落ちてしまったのです。

水原セリは、弟を救った松岡克郎の話をし、松岡克郎のためにも生きていくこと、私たちにはきっと明るい未来が待っていることを川辺映子に伝えます。

川辺映子は、その水原セリの言葉を胸に、生きることを決意し、その後自信を持って生きてきたとのこと。

1980年の12月20日:白紙の手紙

川辺映子の手紙を読んだ浪矢雄治は、新聞記事の真相を知って涙ぐんでいました。

そんな中、少し遅れて2012年から手紙が投函されてきます。

その手紙は、白紙の紙切れでした。

朝になり、店を出た浪矢雄治は、息子の浪矢貴之に2012年からの手紙の束を見せました。

その後、浪矢雄治は亡くなりました。

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ナミヤ雑貨店の奇蹟【映画】時系列に沿ったあらすじ:転

転:迷える子犬(田村晴美)と真実

2012年12月20日:迷える子羊(田村晴美)からの手紙

矢口敦也小林翔太麻生幸平の3人は、なぜ「ナミヤ雑貨店」の店主・浪矢雄治は悩み相談をしていたのだろうという話をしていました。

そこへ、迷える子犬という人から手紙が投函されます。

昼間は事務員、夜はホステスをしていて、先日、愛人にならないかという誘いを受け、身寄りのない自分を育ててくれた人に恩返しをするために、まとまった金が欲しいから迷っている。という内容でした。

それを読んだ矢口敦也は、自分の境遇と重ねて、小林翔太麻生幸平と揉めることに。

矢口敦也は、自分が返事を書くと言い、手紙を書きます。

1980年9月〜12月の間:迷える子羊(田村晴美)の相談

迷える子犬(田村晴美)は、児童養護施設「丸光園」出身の女性でした。

その後、大叔母夫婦に引き取られて、今は不自由のない生活をしていましたが、大叔母夫婦は、借金に追われるようになりました。

昼は事務員、夜はホステスとして田村晴美は働きますが、それでも借金を返しきれません。家はすでに抵当に入っています。

そんな中、ホステスの客から愛人契約を持ちかけられたのでした。

悩んだ田村晴美は、ちょうど通りかかった松岡克郎(魚屋ミュージシャン)から「ナミヤ雑貨店」がまだ悩み相談をやっていることを聞き、相談の手紙を投函したのです。

手紙の回答は厳しく、世の中甘くないから事務員として頑張れという内容。

2012年12月20日:矢口敦也の返答

迷える子犬(田村晴美)に厳しい回答をする矢口敦也でしたが、何通かやり取りしていると、児童養護施設「丸光園」や引き取ってくれた大叔母に、なんとか恩返しをしたいという内容が書かれていたことで、「丸光園」に繋がりがあることを知り戸惑います。

そこで、矢口敦也は、田村晴美の手紙に真剣に答えることにしました。

愛人になってはいけないことや、今後日本に起きること、自分の言う通りに動けばお金が稼げることを書き記します。

2012年12月20日:皆月暁子の「丸光園」と刈谷守

田村晴美は手紙に従って、お金持ちになり、女社長になりました。

それと共に、幼少期に育ててくれた「丸光園」に恩返しするべく足を運んでいました。

児童養護施設「丸光園」は、「ナミヤ雑貨店」の店主・浪矢雄治との駆け落ちを諦めた皆月暁子という女性が立ち上げた施設。

皆月暁子の死後、皆月暁子の弟が経営していましたが、2012年には、経営を刈谷守が仕切るようになり、私腹を肥やすために利用していました。

その事実を知った皆月暁子は、自分が児童養護施設「丸光園」を買収して、施設を救おうと考えます。

ところが刈谷守はこれを快く思っておらず、施設の子供達に「丸光園が買収されて、ファッションホテルかパチンコ屋に変わる」という噂を立てました。

「丸光園」に勉強を教えに行った矢口敦也小林翔太麻生幸平の3人は、刈谷守の噂を鵜呑みにし、田村晴美からお金を盗もうと考えたのです。

2012年12月20日:迷える子羊(田村晴美)の真実

32年前の1980年の夜と2012年の現在が繋がっていると考えた矢口敦也は、試しに表に回って、白紙の手紙を投入しました。

これが、1980年の秋に浪矢雄治が受け取った手紙でした。

矢口敦也が、どうしてこの店に入ろうとしたのか小林翔太に問い詰めたところ、尾行していた時に、女社長が幾度となくこの店の前で足を止めていたからと答えました。

そこから、襲った相手が迷える子犬(田村晴美)だと言うことに気付き、田村晴美が「丸光園」を救うために尽力していたことを知るのです。

その事実を知った小林翔太麻生幸平の二人は、襲ってしまった田村晴美の屋敷に走り始めます。

ナミヤ雑貨店の奇蹟【映画】時系列に沿ったあらすじ:結

結:3人の行く末

2012年12月20日:白紙の手紙への回答

ふと店の脇の牛乳箱を見ると、そこには手紙が入っていました。

それは、1980年の秋に浪矢雄治が最後に受け取った矢口敦也の白紙の手紙への回答でした。

あなたの未来は、まだ白紙だということ、白紙の未来にはどんなことも描け、可能性は無限に広がっていることが記されていました。

2012年12月20日:3人の自首

手紙を読んで涙を流した矢口敦也は、「ナミヤ雑貨店」店主・浪矢雄治に感謝し、夜明け前の街を全力疾走して小林翔太麻生幸平の後を追います。

田村晴美の屋敷には警察が来ていましたが、矢口敦也小林翔太麻生幸平の3人は迷うことなく田村晴美の元へと向かいました。

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看護師をめざす矢口敦也、整備士をする麻生幸平や料理人として頑張る小林翔太など、それぞれが夢をかなえるために努力している姿が描かれています。

矢口敦也:看護師の見習い実習中

小林翔太:料理人として修行中

麻生幸平:航空機の整備士

松岡克郎:路上ライブでパフォーマンス(生前)

水原セリ:ミュージシャンとしてライブ活動中

川辺映子:水原セリのマネージャーになる

田村晴美:「丸光園」の経営と手紙相談を引き継ぐ

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まとめ

映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」をより深く知るために最も重要なことは、「ナミヤ雑貨店」の店主である浪矢雄治の命日が、1980年12月20日であること

そして、主人公矢口敦也たちが手紙のやり取りをするのは、浪矢雄治の33回忌にあたる2012年の12月20日ということ

1つ目の手紙:魚屋ミュージシャン(松岡克郎)は1980年と2012年のやり取り。

2つ目の手紙:グリーンリバー(川辺みどり)は1980年同士のやり取り。

3つ目の手紙:迷える子犬(田村晴美)は1980年と2012年のやり取り。

そこさえわかって順を追えば、コロコロ場面転換する時系列もすぐ理解できると思いますよ^^

最後に「ナミヤ雑貨店」の店主・浪矢雄治から届く、主人公矢口敦也への手紙はとても感動するので、ぜひ本編で見てみてくださいね^^

将来の夢が見つからない人や、現場の自分に悩んでいる人にこそ見てほしい作品です。

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