2019年7月19日(金)に公開され、2020年5月27日(水)にはBlu-ray &DVDも発売される映画「天気の子」。
ストーリーの中で、空から水の塊が降ってきたり、水の魚が登場し、たびたびヒロイン・天野陽菜の周りを泳いでいました。
今回は、水の塊や水の魚はいったい何なのか、また、天野陽菜が消えてしまう理由も合わせて考察していきます。
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天気の子【ネタバレ考察】水の塊と水の魚とは?
みんなおはよう!
きょうも天気の子をよろしくお願いします♪ pic.twitter.com/5NOCJseG6n— 天野陽菜 (@tenki_hina) July 25, 2019
最初の水の塊(雨の塊)は、映画の冒頭に、主人公・森嶋帆高が船のデッキに出た時に降ってきました。
空から太陽の光がさしていて、それを追いかけて船のデッキに飛び出した瞬間、雨に変わり水の塊が降ってきたのです。
水の塊があまりにも大きく、船が揺れたため落ちてしまいそうになる森嶋帆高でしたが、運良く須賀圭介に助けてもらいました。
2つ目の水の塊(雨の塊)は、東京での一場面。
中学生の男の子2人組が、大きなクジラのように見える水の塊を追いかけていき、路地裏に入った途端に、水の塊が崩れて落ちてきました。
ゲリラ豪雨よりも激しい洪水のような、バケツをそのままひっくり返したような水の塊によって、二人の中学生はビショビショになってしまいました。
そして、映画の中で空の魚(水の魚)がたくさん登場しています。
ヒロインの天野陽菜の周りに度々登場し、神社から空の世界に行った時にも、たくさんの空の魚(水の魚)や龍が姿を現しました。
また、空の魚(水の魚)は、ヒロインの天野陽菜だけでなく、全ての人に見えていて、映画の中のニュースで「謎の魚」として報道され、一瞬で水になってしまう様子が描かれていいます。
では、この水の塊(雨の塊)と空の魚(雨の魚)の正体は何なのでしょうか?
天気の子【ネタバレ考察】水の塊の正体は?
出かける前まで土砂降りで、午前中の降水確率80%だったのに家で晴れを願ってて出る前に映画の私みたいに手を握ってお願いしてたら本当に雨が止んだんだけどっ!?
本当に晴れにはできなかったけど、雨を止ませることはまだ私にもできるのかな…?#天気の子#天野陽菜 pic.twitter.com/A4FdMFgiUw— 天野陽菜 (@hina_otenki0822) August 15, 2019
ヒロインの天野陽菜は、「母とまた一緒に、青空の下を歩きたい」と願い、鳥居をくぐったことで、天気の巫女として晴れにすることができる能力を手に入れました。
そして、主人公の森嶋帆高に出会う前から、何度も空を晴れにしていたことが伺えます。
では、空を晴れにするということは、そこにあった雨はどこにいくのか。
晴れにすることで、そこに降るはずだった雨が他の場所に追いやられていき、徐々に蓄積されて水の塊になっていったのではないかと考えました。
森嶋帆高が住む離島で、自転車に乗って「晴れ間」を追いかけるシーンがあります。
その「晴れ間」を追いかけた先に東京があったという事は、天野陽菜は「晴れ間」を無意識に呼び寄せているのではないでしょうか。
同じような現象は、他の作品でも登場します。
漫画「ONE PIECE」では、ダンスパウダー(雨を呼ぶ粉)という人工的に雨を降らす粉が登場します。
それを使用することによって、雲を成長させて必要な場所に雨を降らすことができるのですが、その代償として本来降るはずだった場所には雨が降らなくなるというものでした。
映画「天気の子」の天気の巫女の力は、これの逆バージョンだと思うと納得がいきます。
強制的に晴れにすることによって、雨が他の場所に追いやられてってしまう。
そして、追いやられた雨は、水の塊(雨の塊)となって蓄積していき、落ちてきたのではないでしょうか。
では、空の魚(水の魚)は何なのでしょうか?
天気の子【ネタバレ考察】空の魚(水の魚)の正体は?
雨は嫌いって人が多いけど…雨の日だって誰かを笑顔にしてるんだよ。
【同作他作創作一般全て可/公開まで模索中/人選有り/R拒否】 pic.twitter.com/rVH9PpgHiz
— 天野陽菜 (@hina_tenki) July 17, 2019
映画の中で、地上に沢山の透明な空の魚(水の魚)が降ってきました。
鳥居から空に行った際にも、空の魚(水の魚)や龍の形をした水のようなものが飛んでいましたね。
そもそも雲というのは、水蒸気が凝結してできた雲粒(うんりゅう)の集まりです。
その雲粒(うんりゅう)が成長して、合体して地上に落ちてくるのが雨粒なのです。
言葉遊びのようですが、新海誠監督は、雲粒(うんりゅう)という名前から雲の龍をイメージしたのではないでしょうか。
ちなみに、天野陽菜が鳥居からワープした空の世界は、平たい雲が広がっていました。
それは、かなとこ雲(上部が平らな雲)と言って、実際に存在する雲です。
ある程度まで発達した雲が、地球の大気圏内にある対流圏と成層圏の境界領域に達すると、それ以上の高度には達することができないため平らになるのです。
お彼岸という話も出てきましたし、あの世とこの世の境界線という意味で表現したのではないかと思っています。
話が逸れましたが、映画の中で晴れ女の取材をしていた夏美が「積乱雲1つが大きな生態系で、 湖1個分くらいの水を含んでてもおかしくない!」と発言しています。
そのことから、雲の中には空の魚(水の魚)が住んでいて、本来は雨として降ってきていたものが、天野陽菜の天気の巫女の晴れにする力によって雨が追いやられてしまい、魚の状態のまま地上に落ちてきてしまったのだと考えれます。
では、なぜ空の魚(水の魚)は天野陽菜の周りにまとわりつくのでしょうか?
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天気の子【ネタバレ考察】天野陽菜に空の魚がまとわりつく理由は?
#天気の子 #陽菜さん日記
へぇ〜「かなとこ雲」って言うんだ pic.twitter.com/6qjcbpaFuR— 天野陽菜 (@tenki_hina) July 23, 2019
そもそも、天野陽菜は、天気の巫女であって晴れの巫女ではありません。
晴れを願ったことで晴れているだけであって、助けようとしてカミナリを落とすこともできました。
つまり、天野陽菜は、晴れにするだけでなく、雨にすることもできたのでしょう。
というより、天野陽菜は、天気の巫女として雨雲を操作できる能力を持っているという方が正しいのかもしれません。
雲の上は常に晴れているわけですし、太陽を操っているわけではなく、あくまで雲を退けることで晴れにしています。
太陽の光を操るのなら、太陽の子もしくは宇宙の子になってしまいます。
そのため、天気の巫女=雨(雲)を操る巫女であると言えるのではないでしょうか。
映画の中で、天気を治療するのが巫女の役割と神主が言っていました。
つまり、雨が降り続いて治療が必要だった空に対して、逆に退けてしまっていたことでバランスが崩れてしまったのではないかと思います。
または、天気を治療すること自体が人間のエゴであり、本来晴れにするべきでない場所を晴れにすることで人柱になってしまったのかもしれません。
ちなみに、映画の中盤で森嶋帆高が告白しようとした場面で、空の魚(水の魚)が天野陽菜を空高く追い舞い上がらせる場面があります。
空の魚(水の魚)が住む積乱雲は、上昇気流によって水蒸気を押し上げて生まれるため、天野陽菜を舞い上がらせて連れて行こうとすることで治療して欲しいと伝えたかったのではないでしょうか。
だんだんと空の魚(水の魚)と同じ身体になっていることも示唆していたと思われます。
以上のことから、空の魚(雨の魚)がまとわりつく理由は、天野陽菜が天気の巫女=雨(雲)の巫女であるため、空の魚(雨の魚)に好かれているのと同時に、仲間だと思われているからではないでしょうか。
そして、映画の中で、天野陽菜が空を晴れにする代償として、使い過ぎると人柱としてこの世界から消えてしまうことが判明します。
なぜ代償として消えてしまうのでしょうか?
天気の子【ネタバレ考察】天野陽菜はなぜ消えてしまったのか?
天気の子鬼面白かった〜!!
作画といいRADの曲も素晴らしいし声優も豪華すぎた…。「ねぇ、今から晴れるよ」#天気の子 #天気の子感想 pic.twitter.com/6f0LoCsvtl
— ろべ亞 (@baise41482815) July 20, 2019
天気を晴れにする=雲を動かして太陽の光を当てることですが、本来はあるべき姿であった雨を自然の摂理に反して退けています。
そもそも天気とは、天の気分であり、人の都合などかまわず正常も異常も測れないものだと映画の中で語られています。
晴れているのが正常ということ自体が人間の思い上がりであり、雨であることも正常なのだということを言っていました。
映画の中で天野陽菜は、天気の巫女として人柱になってしまいます。
その人柱とは、現実でも昔から存在してますが、いずれも、神様に人柱として命を捧げることで、自然の摂理である災害を食い止めています。
以上のことから、天野陽菜が空の魚(水の魚)と同じように透明になって消えてしまったのは、そうした自然の摂理を人間の都合で変化させる代償として、だんだんと自分の身体も空の魚(水の魚)と同じように変化していき、人柱として天気(雲や水)の一部になってしまったのではないでしょうか。
天候の神様に人柱を捧げたため、空の魚(水の魚)と同じ身体になっていきましたが、もし今回のテーマが天気で無く陸地の子だったら、土砂災害を食い止める人柱になる代わりに地中の生物と同じような姿になったかもしれませんね。
まとめ
天気の子観たいから誰か一緒に行こ🙋♂️ pic.twitter.com/ypEa1yQirU
— ありすん@自発祭 (@S__qy_) July 7, 2019
映画「天気の子」の中に登場する水の塊の正体は、そこに降るはずだった雨が他の場所に追いやられていき、徐々に蓄積されて水の塊になっていったものだと考察しました。
また、空の魚(水の魚)の正体は、雲の中に住んでいる生物に近いものであり、本来は雨として降り注ぐものであると考えました。
そして、天野陽菜は天気の巫女=雨(雲)を操る巫女なので、空の魚(水の魚)に好かれていて、自然の摂理を人間の都合で変化させる代償として人柱として天気(雲や水)の一部になってしまったのではないでしょうか。
みなさんはどう解釈しましたか^^
ぜひ考察しながら楽しんでみてくださいね。